亜米利加人が来た01

姫路城ガイド

日本に興味津々な外国人も、この暑さによって集中力も切れてしまってとりあえず天守閣に行って帰ってくるだけの修行のような過ごし方をせざるをえないほどです。今回出会ったアメリカ人女性もそんな感じのうちの一人でした。

中年男性である私に一人旅の女性が案内をお願いしてくることはそうありません。そんな中好奇心旺盛な目で「Yes」と頼んできたときにはその笑顔の裏に容姿端麗、ファッションセンス抜群、おまけに知的な雰囲気漂う、最も緊張してしまうお相手と同行することになりました。

カリフォルニア出身で仕事でワシントンDC、転職してロンドンで住んでいる彼女ですが、インタビューを重ねると6か国語も話せるとのことでした。PENTAXのカメラで私が話しているときもシャッターを切りながら、美しい景色を探していました。もちろんちゃんと聞いているから、失礼だけど、と私に許可を取っておいて。

スタートこそこのような順調ぶりでしたが、カメラを構えるたびにパラソルを閉じたり、私がアシスタントのごとくパラソルを固定してあげていたり、そうしているうちに表情も疲れたといってるように見えてきました。覚えておかねばならないのは、ガイドは空調のきいた部屋で待機して調子を整えてガイドに出ますが、お客さんは早起きの上、京都や大阪や広島から新幹線に乗って、そして姫路駅からお城まで炎天下15分歩いてからのスタートなのです。ということで観光どころでなくヘロヘロ、「こんなに暑いと思ってたか?」の問いに「No」相当辟易していたようです。この時期お城の写真は青空に入道雲がかっこよく映えてみなさん喜んでいるのですが、「空の色と雲がかっこいいですね」というと「でも暑い」と。何か暑くて申し訳ありませんでした。

天守近くまで来ると「水の曲輪」という門で区切られた防御用の区画がありますが、その説明をしていると、「Speaking of water」と言って、カバンの中の水を飲みだしました。

今日は語源ではなく文法ですが、speaking of ~は「~と言えば」と、話の中に出ていた単語をピックアップして、思い出したことを言うときに使う、話題を転換するときの表現です。高校の英文法では、分詞構文の慣用的な表現として、「generally speaking(一般的に言って)」「weather permitting(天候が許せば)」などと一緒に出てきます。そんな表現をリスト化して「はい、覚えろ」と言われても覚えられるわけないだろう、というわけで高校生たちにはなかなか覚えてもらえないのもこのシリーズであったりします。

また他に「speaking of which(そう言えば)」という表現もあり(私は使ったことがない)、これは使い方も簡単そうで是非自分のものにしたいところです。

Speaking of water、とだけ言って後は何も言わずに水を飲むのも、この表現の自然な使われ方がよく伝わってきて学びになります。(「水と言えば、喉乾いたから水飲んどこ」と後続まで言うと表現が冗長で野暮になりそうですね)

個人的な話ですが、つい先日アメリカ英語とイギリス英語で違う単語が使われる例がリストアップされていたのを見て、(elevatorとliftとかsubwayとundergroundとかsoccerとfootballとか)列がline(米)とqueue(英)であることを初めて知りました。私はアメリカ英語の使い方で統一しようとしていますが列だけはずっとqueue派でした。今までのお客さんはどんな違和感を覚えていたのでしょうか。それでアメリカからイギリスに渡ったことで英語の違いで困ったことはあるか?と質問すると、「いや、あったとしてもちょっとだけのことで、困るようなレベルではない」ときっぱり。それでその違うものの例をたくさん挙げていくバトルになったのですが、先日勉強していたところなので彼女が驚くほど例を出すことができました。pantsとtrousers、sneakersとtrainers、sidewalkとpavement、fill outとfill inなどバシバシ言ってやると「あんたよく知ってるな」と。

ちょっと調べると英語が17世紀頃にアメリカに渡った後、アメリカでは英語が進化せず、逆に本国イギリスでは20世紀に英語改革が行われたため、アメリカの方が古い英語を使っていると言えるようです。これは我が国ニッポンの漢字の読み方が本国中国のものより古いことと全く同じ現象で、中国が唐のときに遣唐使がたくさんの漢字を輸入しそのまま使っているのに対して、中国では元寇の元のときや文化大革命のころに変化しており、日本の音読みの方が古い中国の音に近いなどという話を聞いたことがあります(たぶん姫路城で昔案内した中国系アメリカ人から)。中国人に「塾」という感じを見せたことがありますが、「おおー、古典で出てきそうな字やなー、なんとなく意味は推測できるわー」という感想でした。現代の中国語では塾は「学院」でしょうか、まあシンプルになっていますね。塾の方が重厚感があって勉強できそうです。

ヨーロッパの言語は共通点が多く(祖先が一緒だと科学的に判明している点でも)学習が容易だというのは想像に難くありません。その点どこの馬の骨かも分からない孤島の孤高の言語、日本語話者は、外国語学習となると大変です。多くのヨーロッパ人が日本語、中国語の学習を投げ出すのもお互いのハードルの高さゆえでしょう。(ガイドしたこの女性も日本語は諦めたとのこと)その驚くほどの高さを越えていこうとする日本人英語学習者の健気さと忍耐力にエールを送りたいと思います。

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