もしこのルックスを日本人の若者がしていたらちょっとお近づき難いだろうと思うようなタトゥー入り、髪を後ろでくくった白人の若者(そしてイケメン)が、私の持つ「Free English Guide Available」のサインににこにこ反応してきました。日本人だったらというのも偏見なのでしょうが、西洋発祥のファッションだから西洋人ならより普遍的であって、普通の(そしてこの学生もただものではなかったが)人でもタトゥーくらい入れるもんなんだと思ってみるのです。が、やっぱり慣れないもんですね、タトゥー。親からもらった身体をなんだと思ってるのという昔気質がどうも出ます。(ちなみに私は親から頂いた身体を飼い猫に噛み刻まれておりますが)昔、イタリア人のタトゥーイスト(tatooist、入れてあげる職人)を案内したこともありますが、全身日本のアニメで片足が全部トトロだった人も見たことがあります。
さて、ドイツはハンブルクで法律を学ぶ彼、卒業間近ながら卒業~就職の流れで海外旅行をする余裕がなさそうとみて、卒業前に休学し、東アジア旅行へ。日本16日、韓国18日の旅程で来日1週間後に姫路城へ。「なぜ韓国の方が長いの?」と怒った風に言うと、日本語でごめんなさいと。これがまたかわいい。
日本発祥の合気道は大正期に韓国へ渡り、韓国語読みの「ハプキドー」となり今も続いているとのことです(ウィキペディア調べ)。ハンブルクの彼の家の近くには日本の合気道も韓国のハプキドーもあるが、彼の近所のハプキドーの師匠がいい師匠らしく、彼はハプキドーの使い手でした。韓国へはそのハプキドーの道場をいくらか周って本場を体験したいとのことでした。それなら納得と私も上げた拳をひっさげたのですが、理由を聞いていなければ逆に投げ飛ばされているところでした。
日本の武術にも精通し、歴史も好きで、将来は弁護士か何かになるのか、世の中にはあふれる好奇心とそれを満たす物覚えの良さを兼ね備えた頭脳がたくさんあるようです。歴史好きということで、姫路城の数少ない体験コーナー「日本刀の重さチェック」もやってもらいましたが、「そのころの日本の主要武器は刀か?」という質問も出ました。「飛び道具だと火縄銃、大筒(cannon)も輸入してた。後は槍の方がメインで、日本刀は侍であることのシンボルとして携帯してたのでは」と答えると、「切腹するときですね」と、精通している風でした。
では、その頃のドイツはどうだったの?その頃は三十年戦争のころだと思うけど、と少ない知識をフル活用して尋ねると「Bayonet?」と言って、「ちょっと待って」とスマホをいじり出し、「やっぱりそうだ、lucky guess」とめちゃうれしそうに銃剣の話をし始めました。
bayonetは「銃剣(鉄砲の先に刃物が付いてあり、剣としても銃として使えるもの)」。語源はフランスの地名「Bayonne(バイヨンヌ)」から。最初の製作地とのことです。火薬が不足したときに銃の先に剣をつけて立ち向かったのが始まりという、その時に戦わされた兵隊がかわいそうでならない起源です。
バイヨンヌはスペインとの国境近くの大西洋側の町で、フランス領バスクの中心地とあります。グーグルマップではゆったりとした川に沿って街並みが形成されているのが分かります。ん、語源辞典ではbayonetという言葉がフランス語なので、このブログの英語を語源からさかのぼるという一本調子ができないのではないかと戸惑っていたのですが、bayonetの下がbayou「バイユー、大河の河口」というアメリカ南部にありそうな地形を表す言葉があります。
ルイジアナ州ニューオーリンズは元フランスの植民地であり古き良きフランス文化漂うジャズの町ですが、ということは「bayo-」的な言葉がフランス語で存在し、川を表すことが想像できます。かろうじてフランス語小辞典を所有しているのでチェックしてみたけれども載っていたのはバイヨンヌだけ。フランス語がアメリカに渡り、独自に発展したのがバイユーなのかもしれません。
しかしながら武器の名前がその生産地から来るというのは我らが「種子島」を筆頭に世界的な傾向かもしれませんね。
その後も大東流合気柔術(日本の合気道の一派)のルーツが武田惣角という幕末の人であるとか、そのあたりのことをたくさん話してくれました。この大東流の紋章が武田菱(武田信玄の家紋)で、何か関係があるのかと思うともう彼の英語の説明は全く入ってきませんでしたが。案内士、いくら知識があれども、世界には知らないことの方が多いので、あまり知識を詰め込むことに執着するのも意味がないとも思いました。ただ彼の韓国での武者修行の成功を祈るのみです。
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