今日の授業65

修学旅行のお土産、ありがとうございます!

韓国語の教材の文章にこんなものがありました。

自分が子供の時、厳格だった父の家に、子供を連れて行った。静粛さを好む父の前で子供は騒がしくし、挙句、父が大事にしていた障子に落書きをした。一喝されると身構えたが、父は怒るどころか、「よく描けている」と子供を褒めた。父も年をとって柔和になったのかと思い、後で父になぜ怒らなかったのかと尋ねると、「子供を𠮟れるのは親だけだ」とおっしゃった。

最近入塾した小5生はこれまで1時間半も机に座って勉強したこともなく、集中力が途切れては机から離れたりしますが、現在その生徒だけなので時間を決めて体を使わせます。ちょっと運動してはちょっと問題を進めるというふうに、ゆっくり時間をかけて半年後や一年後に集中力が付いたらそれでいいわけですから。それにしてもこっちが思っているよりもやたら休憩するじゃないか。そんなとき上の文章を思い出しました。結局本当の意味で叱って意味のあるのは親だけですから。

私も生徒を叱るときがありますが、叱ると本当にお手本のような南部播州弁が出てしまい、あれが出るということは本当に叱るというより怒ってしまってて意図していることと違ってくるのです。かといってトーンを抑えては効き目が薄そうでこれも意味がなく。なので私は各生徒に対し、必要であれば在塾している間に一度だけネイティヴ播州弁で叱るようにしています。一回だけなので例えば中学生の時これをくらった生徒が、高校生になって「あんとき先生にこうこう怒られました」のような話が出たりします。無論、「そうか、覚えてない」と返しますが、人の子を叱ることへのストレスは生半可なものではなく、一回一回トラウマのように刻まれています。その子の思い出として片隅にでも残ればいいですし、残らなくてもいい。

そんなことをその小学生との時間の中で思いながら、ふと「ということは私はもうおじいちゃんの境地に至ったということか」と気付き何だか不思議な気分になりました。ワタクシ、アラフォーなので、その心境までにはもうちと時間が要ると思うのですが。

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