書評02「日本語のルーツは古代朝鮮語だった」朴炳植著

私の古代史趣味から。古代史の本は最終的に事実と確定できない(資料がなくて)事柄を、かき集めた情報とたくましい想像力でさもありなん説として著されるので、当たり外れも多い。著者と相性が悪いと読めない。ただの古代史ファンは自分で資料を読むことができないので好きな研究者の説に同意したり、嫌いなのに反論したりする遊びである。この本が出版された1990年代は邪馬台国ブームやら、多分ささやかに「記紀は古代朝鮮語で書かれたブーム」があったようで、著者はこの説を代表する人だったのであろう。

著者は古代日本語と朝鮮語は一緒だったとし、しかも記紀の時代に漢字で文章を書くのは渡来人だとしてタイトルの説を展開。補強として自らの言語学の知識もふんだんに取り入れる。ベースの言葉がある法則をもって方言のように列島と半島の中で変化していく。これは無理やりではないかと読者に思わせるものもないではないが、たくさん集めて辞典にしちゃってるのが圧巻である。パリ(韓)⇔ハエ(日)、なんかは分かるが、ソリ(韓)⇔声(日)、キリ(韓)⇔道(日)なんかは、特に日本語のルーツが古代朝鮮語というのに抵抗がある人には受け入れがたいというか怒っちゃいそうである。

万全の背景説明をもって古代朝鮮語で万葉集を解読する章はもう、ロマンだけのことにこんなに時間と労力を注ぐなんて、と感動ものである。

面白かったのは新羅の王族、昔(セキ)氏が追っ払われて列島へ、あの有名な蘇我(ソガ)氏のルーツであり、滋賀、佐賀、敦賀などのルーツとなったとか。私は韓国語を勉強しているが、その知識はこんなところでも活かされて、言葉の音韻変化の面白さが実感できるし(印欧語族ではかなり解明されている模様)、山陰地方のドライブも道路標識なんかに反応するようになった。その他うんちくだけ仕入れるとしても読みごたえありです。

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